せいせいかつ日記

大きな声では言えないような話をします。

友達

最近特に書きたいと思える出来事もないので常々考えていることを文字にしてみようと思う。



楽しくセックスをするのってほんとに難しい。


そもそもセフレってなんだろうってところに話は飛躍する。


私と彼氏で一致している考えがあって、それは
性欲と恋愛感情は別である
ということだ。
だからこそ私が他の人と行為に及ぶことを許容しているのだろうし(むしろ喜んでるのは特殊だろうが)
そうでなければ私も好きでもない人とセックスなんかできない。
セックスしたいという気持ちとその人と付き合いたいという気持ちは全然別のところにある。


ならばセフレは性欲の捌け口かと言えばこれはまた全くの解釈違いだ。
私にとってセックスをするということはある種のコミュニケーション手段である。
セックスをしてみたいと思う相手はどのように選ばれるかと言えば
1つは、ただ普通に話したり遊んだりするだけでは事足りずさらに深く相手を理解し、その人とセックスをしたというステータスを得たい相手。
2つは、1つ目のような相手への深い理解という意図ではなく単純にセックスの様子を知りたいという相手。


書いていても思うが、
人に対しての感情を正確に数値化できないのと同じで
この1と2がはっきり切り離されているかといえば多分そんなことはない。
だが仮にこのように分けたとしてそれでも共通している点は
相手に明瞭な興味を示しているという点だ。
今まで関係を持った人が身近な知り合いであるのは手頃であったためではなくて
相手についていくらかの知識と理解があり、興味を抱くところまで関係性を築けていたからなのである。
よって誰でも良いからヤりたいと思ったことはほとんどない。


これはある意味拘りで、自分がセックスを楽しむための基準でもあるのだと思う。
私この人にあんまり興味ないなぁと思うとめちゃめちゃ冷める。
帰りたくなる。(それはみんなそうか)


そしてこれは私の趣向の問題かまたは拘りか
同じく相手にも私に興味を持っていてほしいのである。


それが一番難しい。
そこまで深く考えて好きでもない相手とセックスをしてるやつはなかなかいないのだろうか?
私がろくな経験をしてないだけかもしれない。
しかし、性欲と恋愛感情を切り離して考えている人の多くは性欲を発散することを第一目標としている。
いや私もそれはあるんだけれど。
セックスは性欲ありきの行為だからいくらコミュニケーションだ好奇心だと言っても性欲は大きく作用していてそれがないと何も面白くはないんだけれど。
それにしたって性欲を発散したいので誰でも良いから穴がある肉塊を求めてますって態度で来られるとさすがに冷めるのである。
相手にも私がそうあるように私に興味を持ってほしいし「私とする」セックスを楽しんでほしいし「私」を楽しんでほしい。
自分のペースでやりたい放題してスッキリして帰るための手頃な相手として選ばれるのは心外なのである。


しかし私の考えがどこまで通用するのかは実は私にも分からない。
そもそも私にとってのセックスをコミュニケーションの一種であって、
その人にめちゃめちゃテクニックがあってもう定期的にその人とせずにはいられない

とかでもない限りはセックスをするためだけの友達なんていらない。
それがセフレであり、彼らにとって私がセフレであるなら
それは、さらなる関係を求めて良かれと思ってしたセックスによって立場が降格したと言えるだろう。
そんなつもりは私にはなくて、友達としてより密な関係を築きたいんだという主張は
世間的には異端なのだろうか?
ヤッたんだから友達でいられないのは普通でしょ、ヤりたいときに呼ばれて都合よくセックスするフレンドになるのは当然でしょと言われるだろうか。
またセックスをすることで相手をより知ったように思うのは危険な兆候なのだろうか。


私にとってセックスはひとつの手段ではあるが誰もが誰に対しても常習的に扱える方法ではないと考えている。
それがちょっとした特別意識になっていてそれが私にとってのセックスの楽しさでもある。
恋愛の儀式とは切り離された行為であるが誰もが容易に行えるものではない。
ここには世間的な倫理観が絡み、理性と本能の攻防がある。
私自身は大衆と違う価値観を提示しておきながらこれあってこそのセックスだと考えているのである。
他人にとやかく言われずしたいと思った相手と自由にヤりまくれたらいいと考える一方で、
みんながそのように考えてヤリまくって
セックスという行為がもっとオープンでライトな物になれば
一瞬でその魅力は半減するだろう。


このような持論を人に押し付ける気はない。
分かり合える彼氏がいればそれで十分だし、
変なやつだなと良いながら笑って酒の肴にしてくれる友達がいれば十二分なのである。
むしろここに強く共感されて私もそうしようと言う女が出てきても私はさほど愉快ではない。
経験人数が少ない男と寝たほうが特別感があって私の興奮は勝るのである。
わざわざ母数を増やす手伝いをする必要はあるまい。


ただしセックスをする相手にはある程度このようなこと、具体的には
セックスの位置づけや
相手への興味の深さなどは
できれば共有したいのである。


セックスをオナニーの上位互換程度にしか考えてないやつとのセックスはほんとにオナニーだ。
そいつは実質童貞だ。
また相手への関心が薄いやつもただの風俗狂いとしか思えない。


複数人と、それも恋愛感情を抱いていない相手と寝る私が
セックスを特別なものだと説いても説得力に欠けると思う人がいるかもしれないが、
恋愛感情が絡むから特別なのではない。
理由は別にある。
しかしながら相手への強い興味関心や、気遣いや、セックスに対する特別意識というのは
恋愛的心理に極めて近いものがあるというのも感じるところではある。


セックスは2人だけの空間の中で、身を隠すものを取り払って、
普段大勢と顔を合わすときとはまた違ったような表情で、声で
互いのことを探り合って暴き合って
目の前の相手に欲情して、本能むき出しで貪るものなのだ。


さまざまな条件や縁がたまたま重なってか
もしくは長い駆け引きの末にかそのような空間に足を踏み入れる権利を得て
ようやく他者の介入を許さない2人しか知らない2人にとっての特別な一夜となるのである。


セックスが特別でないとすればなんなのだろう。


私の考えを正しく理解するのは困難かもしれない。
しかしさっきも言ったセックスの特別感や相手への興味が欠如した相手とは
ほんとに寝ててつまらない。
こいつらはこれでセックスしたつもりなのか?とよもや心配にすらなる。
私はセックスと恋愛を混同しているのか?
セフレの分際で高望みしすぎなのだろうか?
より気持ちの良い最高の夜を目指せばそんなにおかしなことを言ってるとも思えないのだが。


確かに慣れはある。
私は処女より抵抗しないだろうし、
服を脱ぐことへの羞恥心も薄いだろうし、
こうすれば相手が喜ぶだろうというのもいくつか思いつく。
しかしセックスは対人なのだからこちらのセオリーや経験が全く意味をなさないことなんていくらでもある。
初めてのセックスも寝た相手の性癖も人数も本人の趣向も全部違うのだから当然なのである。
それが面白いのである。
だからお互いが楽しくセックスをするというの難しいのだと思う。


せめて需要と供給の内容は一致させておきたいし、
私から提供できるもの、またその対価に何を期待しているかもあらかじめ説明しておけたらどんなに楽かとは思う。

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